日本経済は再生するか、アベトクロダノミクス(3)

もし“アベトクロダノミクス”が失敗したらどうなるのか? 体力を消耗し尽くした日本に代案があるのだろうか? そんな気持で書いているのだが、実は財務省”も“日銀”も、本気でそれを考え始めたのではないか? ここでマスコミも、学者も、誰も気が付いていない、担当者の口からは絶対に出てこない、いわば“アベトクロダノミクス”の裏側にある事実を書いておきたいと思う。


異次元金融緩和開始から2年、日銀はすざまじい勢いで、国債を買っている。図に見るように、緩和以前、日銀の国債保有残高は100兆円に満たなかった。それが2014年末には210兆円。普通国債発行残高780兆円の27%にあたる。この調子で国債を買いまくると、今年末には32%を超え、2018年ごろには(そこまで異次元緩和が続くとして)、発行残高の半分近くを日銀が保有することになる。


異次元金融緩和のお手本になった米国でも、リーマンショックから昨年秋までの5年間、FRB(日銀にあたる中央銀行)が大量の米国債を買い上げた。FRB国債保有率は、2014年末時点で、発行残高の25%。日銀と大差ないように見えるが、FRBは昨年10月に金融緩和から撤退し、今は利上げのタイミングをさぐっている。日本は金融緩和がまだ続く。

日本やEUが、いま史上最低の金利水準にあるのに、ドルだけがそこから抜け出し、高い金利をつけようとしているのだから、世界中の余剰資金が、高い金利とドルの値上がりを狙って、米国に流入することは目に見えている。そうなればFRBは手持ちの米国債を世界の投資家に転売できる。これが金融緩和の後始末、米国の“出口”政策だ。

日本はそうはいかない。まず累積財政赤字が米国より断然多い(日本はGDPの205%。米国は105%)。日銀の国債購入も、当然、相対的に米国より多くなる。それに、もともと、日本の国債金利が安い。だからこそ初めから外国人保有が少ないのだ。こんな状況で日銀の転売先が見つかるとは思えない。無理に転売しようとすれば国債は暴落する。

海外に販路を求めようとすれば金利を引き上げる必要がある。そうなれば政府の利払が増加する。なにしろ、10年債で年利0.5%程度の安い金利でさえも、支払が10兆円にもなっている。米国並みに年2%の金利を支払ったとすると、たちまち財政破たんする。税収は全部で40兆円しかない。

金融緩和の“出口”とは、これまで購入した国債の転売先を見付け、市場を正常に復することである。黒田総裁はまだ出口を考える時期ではないと言っている。しかし、常識的に考えて、日銀が購入した国債には転売先がない。言い換えれば国債は日銀の金庫におさまったまま、いわば国債の“ブラックホールになる可能性がある。もちろん日銀や財務省は、それを承知のうえで、異次元緩和に踏み切った。

こういうお伽噺(おとぎばなし)がある。
□ 政府が国債を発行して財政支出する
□ その国債を日銀が引き受ける 
□ 国債金利はゼロ。日銀の利益は最終的に政府に還元されるから、政府が日銀に金利を支払っても、また政府に戻ってくる

このやりかたを“財政のファイナンス”と呼び、財政運営上の“禁じ手”とされている。政府が国債を発行しさえすれば、日銀が引き受けてくれるのだから、お金の心配はいっさいない。国民から税金を徴収する必要さえなくなる

今の日銀はもうこれと同じことをしている。唯一の差異は、日銀法で国債の“直接引受(日銀が新規発行国債を買うこと)”が禁じられているために、いったん市中銀行等に国債を引き受けさせ、それを右から左に日銀が購入しているだけである。政府の新規国債(借換債を除く)発行が2014年間で60兆円。日銀は、これを上まわる年間80兆円以上を買い入れているのだから、“財政ファイナンス”と言われても仕方がない。

これだけ大規模に国債を購入すれば、さきほど述べたとおり、これらの国債は二度と市場に戻らない可能性がある。そうなれば、国債は返済期限まで日銀の金庫に眠り、期限が来れば、政府が日銀に額面金額を返済する。しかし返済相当の資金は、あらためて“借換債”を発行し、それをまた日銀が購入する。政府はまた、定期的に日銀に対し金利を支払うが、日銀の利益は最終的に政府に還元されるから、支払金利も政府に戻ってくる

これはもう“負債”ではない。“借金の棒引き”に等しい。だからこそ財政上の“禁じ手”とされ、IMF等の国際機関が各国を厳しく監視している。もし相手がギリシャなら、いや相手が米国であっても、絶対に許されないだろう。幸か不幸か、日本の国債には外国人保有者が少ない(5%−10%程度)ために、注意が行き届かないというか、内政問題で片付いている。

もちろん日本の政府も、“財政ファイナンス”など、おくびにも出さない。それに日本は、社会保障などお金が足りない一方だから、日銀が派手に国債を買い入れても、そんなに目立たない。さらに、もうひとつ、日本の財政には“隠れ蓑”が用意されている。それが“転換債”という仕組みである。

日本の国債60年で償還するというルールになっている。たとえば期間10年の新規国債600億円を発行した場合、10年後に返済するのは6分の1(10年/60年)の100億円だけ。残りの500億円は“借換債”を発行して借り換える。その“借換債”をやはり10年国債で発行したとすると、次の10年後にまた100億円(10年/50年)のみを返済し、残った400億円は“借換債”を発行する。これをくり返し、対象が何年債であろうと、すべて60年間で完済する仕組みになっている。

残債が、どこまでも、繰り延べられていくから、国債の累積発行残高は増えていく。しかし、本当の発行高は、増えているのか、減っているのか、全貌がつかみにくい。しかし、“新規債“”(借換債”を除いた発行高)と、日銀購入の国債金額を比べれば、何が起こっているのか、大まかな趨勢はつかめる。2014年中に発行された“新規債”は60兆円。日銀の国債購入金額は月間8兆円から12兆円。年間で日銀が100兆円を購入したとすれば、その差40兆円の国債が日銀の金庫におさまり、“借金棒引き”の対象になった。日本の年間税収に匹敵する負債金額が2年間で消滅することになる。

もっとも、実際に債務が消滅するのは、何十年先になるのかわからない。しかし、日銀の国債購入が新規債の発行金額を上回って続くかぎり、徐々に日本の実質累積赤字は減っていくはずだ。いわばシュレッダーで“大ごみ”を切り砕き、ディスポーザーに流しこんでいるようなものだ。

信じられないかもしれないが、同じ“借金”でも、国家の“借金”は民間の“借金”と異なる。国は紙幣を印刷すれば借金返済できるのだから、本来、国に“借金”というものはない。政府負債とか、財政赤字とか、云っているのはあくまでも国際的なルールによる約束ごとに過ぎない。

財務省と日銀が手を結び、“財政ファイナンス”という“禁じ手”を使い、物価を引き上げるという名目で、累積赤字を切り捨てにかかっている。そうしたとしても、だれも損をしているわけではない

頭の固い学者やマスコミは、“財政ファイナンス”と聞くと、すぐ「不健全だ、自転車操業だ」などと論評する。こんな論評は意味がない。日本の財政は、とうの昔に、財政ルール上の規律を失っている。それを健全化しようとすれば、消費税を30%以上にしなければならないだろう。その被害者は国民である。

ただし条件がある。国際的な金融世界がこの”トリック”に気付いて騒ぎ出せば、厄介なことになる。円は国際的信用を失って暴落し、本当の大インフレがくる。そうさせないためには、。日本が財政健全化に努力しているという傍証を示す必要がある。今はもうその”トリック”の成功を祈るより仕方がないのかもしれない

最後に株価について。“官製”相場と云われているが、見かけの景気を盛り上げるためにも、また低金利下で銀行や金融機関の利益を補てんするためにも、“アベトクロダノミクス”では株価を維持することが、どうしても必要だ。少なくとも、消費税増税を決定する2016年いっぱい、株式市場は“官製”を続けるだろう。ただし米国と中国の景気が悪化しないことが前提である。
(おわり)

日本経済は再生するか、アベトクロダノミクス(2)


財政赤字に対する物価上昇の効果は大きい。黒田総裁の思惑通り、もし2%の物価上昇が10年間続けば、日本の累積財政赤字実質的に22%縮小する。累積赤字が1000兆円なら220兆円だ。消費税を増税しても、その効果は増税1%で税収2兆円である。

異次元金融緩和では、国債等を市場から買い取ることによって、通貨量(マネーベース)を2年間に2倍に増やし、物価を引き上げようとした。2012年末の通貨量138兆円に対し。2014年末の通貨量は270兆円。約束通り通貨量は倍増しているが、物価は上がらなかった。2015年2月の消費者物価指数は前年同月比2.0%プラス。この間の消費増税(日銀試算では2%強)を差し引けば、物価上昇はゼロないしマイナスだった。

原因は、消費増税による消費減少もあるし、世界的な原油安もあった。しかしもっと基本的な原因もあった。日銀が供給した通貨は、確かに倍増したけれども、それらのお金は銀行等金融機関の内部にとどまり、市場に流出しなかったのである。

銀行等の金融機関は、日銀から日銀券の供給を受け、顧客に貸し出す。だが今の日本には資金需要がない。景気が悪くて資金需要がないうえに、需要があったとしても、キャッシュリッチな大企業はお金を借りる必要がない。せっかく日銀が大量の資金を供給しても、貸出先がなければ、資金は外に出ていかない。

日銀は、銀行等から国債を買い取って、各銀行の日銀預金口座に、代金を振り込むのだが、それが口座にブタ積みになっている。市中銀行等金融機関の日銀預金口座残高は2014年末で合計178兆円である。これに対し2012年から2014年の2年間に、日銀が供給した通貨量(マネーベース)は132兆円の増加である。つまり供給量以上のお金が日銀預金口座に残されたことになる。

現金が市場に流出し、設備投資や在庫投資になり、その商品が売れて、従業員の賃金になり、家計を潤す。それでこそ消費が伸び、物価に反映する。いくら通貨を供給しても、それが動かなければ、景気はよくならないし、物価も上がらない。

“リフレ派”は、日銀が大量の通貨を銀行等金融機関に供給すれば、景気が良くなり、物価が上がると主張した。しかしどうやらこれは誤りであったらしい。

もっとも、黒田総裁は、2015年末までには、物価が上向き、2016年中に目標の2%を達成すると、期間を1年延長したが、意見を変えていない

たしかにその可能性もある。ドル高、円安が進むかもしれないし、原油価格が反撥上昇するかもしれない。物価上昇を奨励するような政府の態度に、便乗値上げする企業も多い。それでも物価が上昇しないなら、3度目、4度目の追加金融緩和という手段も残されている。

だが、物価を吊り上げることだけが目的なら、被害者は国民である。物価上昇で経済を活性化しようというのはわかるが、それは最終的に国民の福祉が向上するからだ。何が何でも物価を上げようというのは本末転倒である。

3度、4度、金融緩和をくりかえせば、円安は進むだろうが、これから更に円安を進めても、企業が海外に工場を移転してしまった現在、輸出もそんなに増えないし、逆に輸入物価が上がり、国民の生活が苦しくなる。国際的な非難もあるから、株価も円安に反応しなくなるだろう。

そこで最初の“アベトクロダノミクス”の評価基準に戻るのだが、“アベトクロダノミクス”の進行には、次の3つのケースが考えられる。

 物価が目標通り上がったうえに、それ以上に名目GDPが上がる。黒田総裁が最初にゴールとした物価2%、名目成長4%、実質成長2%のケースである。この通りならなくても、名目成長>物価なら、”アベトクロダノミクス”は成功と評価しよう。

 逆に物価>名目成長のケース。名目成長率より物価上昇率が高いから生活は苦しくなる。いわゆる“スタグフレーション”である。

 物価上昇もなく、名目成長もないケース。つまりデフレ脱却に失敗したことになる。

BとCはどちらも失敗だが、生活が苦しくなるという点では、BはCより悪いかもしれない。

“アベトクロダノミクス”が、A,B,C,のどの方向に向かうか、もう少し時間をかけないと、まだわからない。

異次元緩和2年で経済はどう変わったか

項目 緩和前 評価 緩和後
消費者物価指数 -0.5%(13年3月) やや上昇 0.0%(15年2月)
日経平均株価 12362円(13.4.3) 上昇 19313円(15.4.2)
ドル円相場 93円43銭(13.4.3) 円安 119円53銭(15.4.2)
長期金利 0.550%(13,4,3) 下落 0.335%(15.4.2)
名目GDP成長率 5.6%(13年1−2月) 下落 1.5%(15年1-2月)
失業率 4.1%(13年3月) 下落 3.5%(15年2月)
現金給与総額 274764円(13年2月) 同じ 272779円(15年2月)
地価公示価格 -0.5%(13.1.1) 上昇 1.8%(15.1.1)

(2015.4.3 毎日新聞

(続く)

日本経済は再生するか、アベトクロダノミクス(1)

半年間、執筆を止めていた。前回は“アベノミクス”の中間評価で終わった。半年後のいま、どうやら日本の経済は再生への分岐点にさしかかっている。
内容を(1)(2)(3)と小分けしたが、(1)の部分は前回とあまり変わっていない。新しい動きが見えてきたのは(2)(3)の部分である。

“アベトクロダノミクス”という造語は、もちろん安倍首相と黒田日銀総裁をさしているのだが、新しい造語ができるほど、黒田総裁が日本経済再生にはたす役割が大きい。

アベトクロダノミクスの成果を評価しようとすれば、何が“成功”で、何が“不成功”かを定義しておくことが必要だろう。“成功”のゴールは、黒田総裁自身が、2013年4月の“異次元金融緩和”発表に際して、明らかにしている。すなわち「2%の物価上昇率と4%の名目GDP成長率を定常的に実現する」ことである。実質GDP成長率は「名目成長率―物価上昇率」で2%ということになる。

ただし黒田総裁の発表は明らかに経済成長より物価上昇に重きを置いていた。その理由は、安倍首相と黒田総裁の役回りにもあるが、黒田総裁がはっきり物価上昇を目標として設定したからだ。「日本の経済は長年のデフレで委縮している。消費者は消費することより貯金することを選択し、企業は投資することよりより節約することを選択している。このようなデフレマインドを、ゆるやかなインフレ実現で、一掃する必要がある」。

日本の経済は、この25年間、まったく成長しなかった。上図に見るように、名目GDPが500兆円以下にはりつき、しかもこの10年間、物価が下がって、実質GDPを下まわっている。インフレなら、先の物価が上がるから、消費者はモノを早く買おうとする。デフレでは、先の物価が下がるから、最後まで買おうとしない。企業経営がむずかしくなる。

財務省も困っている。日本は1000兆円を超える累積財政赤字財務省は、口先では増税を主張しているが、これだけの赤字を増税で解消できないことはわかっている。大幅な経済成長もむずかしいとすれば、残る手段はインフレしかない。第一次世界大戦後のドイツでも、また戦後の日本でも、インフレで累積赤字を解消した。

経済学者のなかに“リフレ”を主張する一派がいる。あからさまに“インフレ”とは言いにくいので“リフレ”と言っている。彼らは「今のデフレをつくったのは日銀だ」と主張してきた。日銀が、日銀券を大量に印刷して市場にばらまけば、デフレが解消できると考えた。日銀は「札束を必要以上にばらまけば、バブルの種になり、いずれ収拾不能な高インフレになるだろう」と反論した。

アベノミクスは“リフレ派”の主張を引っ提げて登場した。まず日銀総裁の首を差し替え、黒田総裁が登場した。その成果が2013年4月の“異次元金融緩和”。「おおむね2年間に2%の物価上昇を実現する。そのために年間60−70兆円の国債を日銀が購入。2012年末のマネタリーベース(日銀が市場に供給する現金量)138兆円を、2年間に、2倍に増やす」。このあと、2014年11月に更なる追加緩和を実施、国債購入金額を年間80兆円に増額した。

日本では、政府が新規発行する国債を日銀が直接買い入れることは、認められていない。国債を引き受けることができるのは、主として市中銀行郵貯、年金、保険、証券等の金融機関である。そこで日銀は、市中銀行等が引き受けた国債を、あらためて再購入することにした。銀行等が保有する国債を日銀が買い取り、代金を支払えば、銀行等の手持現金量が増える。

日銀は市場に出まわるお金の量をコントロールしている。お金が不足していると考えれば、銀行等が保有する国債を購入して現金を供給し、お金が過剰だと考えれば、日銀保有国債を銀行等に売って現金を回収する。2013年4月の金融緩和を“異次元”と表現したのは、これまで日銀がタブーとしてきた“インフレ目標(=2%”を打ち出し、その手段として、従来と比べ、格段に大きな現金を供給する方針を示したからである。

すぐ効果が出たのは為替レートだった。ドル円は、2012年末の90円から、現在の120円まで、円高から円安に流れを変えた。それから株価日経平均株価は、8千円から、現在の2万円超まで上昇した。

逆に消費は縮小した。無理もない。異次元金融緩和の1年後、2014年4月、消費税を3%増税した。昨年の賃金上昇は微々たるものだったから、消費減少は当然の反応だった。GDPの6割を占める家計消費の縮小で、2014年の実質GDPはマイナスになった。今年は自民党内閣あげての財界要請で賃金が上昇し、平均賃金が約2%強上昇したと伝えられる(4月連合集計)。消費税3%増税で、物価が2%強上昇したと計算すれば、やっと消費税に賃金が追いついたことになる。しかし、この実績も全企業を集計したわけではないので、賃上げがどこまで浸透しているか、まだわからない。

輸出も大きく期待を裏切った。消費増税後の消費をおぎなうと期待されたのだが、これだけ円安になっても輸出量が伸びていない。円安の利益で輸出価格を下げれば輸出が増えるはずだが、企業は量より質(利益率)を重視し、利益を企業内に溜め込んでいる。今年に入り貿易赤字が縮小しているのも、必ずしも輸出が増えているからでなく、原油価格の下落が原因と云われている。

設備投資も増えていない。特に国内向けの設備投資が増えていない。国内消費が増えなければ国内向け設備投資も増えないのだろう。一方、円安の恩恵を受けた企業は、この3月決算で、史上最高の収益を記録している。設備投資がないからキャッシュリッチ。それを株主還元して株価上昇を手伝っている。

ただし、企業利益の上昇と賃上げ、それに株価上昇で、街の景況感は上向いている。世の中はちょっぴり明るさをとりもどしたようだ。

ここまでは前回までの評価とあまり変わらない。だがまだ最終的な評価を出すには早すぎる。特に黒田総裁が強調した“インフレ目標”に達していない。物価が上がらなければデフレから足が抜けない。(続く)

アベノミクスは正念場

アベノミクスが“見込みちがい”に足を取られている。消費が低迷し、予定通り、経済の拡大が進まない。

アベノミクスは、20年にわたるデフレ、円高財政赤字を克服し、経済に成長力を取り戻そうということで出発した。2%の物価上昇(デフレムードを払しょくするために穏やかな物価上昇が必要という趣旨)と、そのうえで実質2%のGDP成長率実現が目標。財政面では、2020年までに基礎収支を黒字化することを国際公約した。同時に前政権時、自民、民主、公明が合意した消費税引き上げを継承した。

財政の基礎収支とは国債費(国債の償還と金利の支払額)を除く歳出と、歳入の収支である。家計に例えれば、住宅ローンの返還分と利子を棚上げして、家計収入と家計支出が見合っている状態。ローンの返済も、利子の支払もできないが、それでもこれ以上借金は増えない。今の日本の財政は歳出が税収の倍もあって、基礎収支が大幅マイナス国債を返済するどころか国債の元利返済のために新たにお金を借りている状態である。返しても、返しても、確実に借金が増え続ける無限地獄。

しかもその基礎収支でさえ、赤字が大きすぎて、正常化する計画が立たない。そこでまず、2015年度までに、基礎収支の赤字を半分にすることにした。それを数字にしたのが下表の内閣府「中長期の経済財政に関する試算」である。もちろん消費税10%への増税を組み込んでいる。これだけ経済成長があれば基礎収支のマイナスが半減するという計算。

この計画に従えば、名目GDPの成長率が 2013年度 1.9%(これは実績)、2014年度3.3%、2015年度2.8%。実質GDPはここから予想される物価上昇率を差し引けばよい。実質GDPはそれぞれ 2.3%(実績)、1,2%、1,4%になる。

年度 2013 2014 2015
実質GDP成長率% 2.3 1.2 1.4
名目GDP成長率% 1.9 3.3 2.8
消費者物価% 0.9 3.2 2.5

ところがスタートしたばかりの2014年度の計画が下振れしている。4−6月の実質成長率は年率換算でマイナス7.1%。消費増税直後の3か月だからやむおえないが、問題はその回復、特にGDPの7割を占める消費の回復である。しかし、消費者の実質所得がほとんど上がっていないことを考えれば、常識的に、当分期待できそうもない。そのかわり円安で輸出が増えると期待していたのだが、これだけ円安になっても、輸出は増えていない。このままでは、7月以降、年間の成長率を実質1.2%まで挽回するのは苦しい。今年度の実質成長率は0.5%位だろうと予想する論者が多い。

見込みが違ったぶん、基礎収支の赤字半減が遠のいたことになるが、実はそれはどうでもいい。もともと、多少でも経済に通じた人間なら、超インフレにでもしないかぎり、日本の財政が健全化するなど、信じていない。

そんな夢のような話より、いま大切なことは、経済が活気を取り戻すことだ。国民はそれをアベノミクスに期待している。実際に成果はあった。これだけ円安になり、公共事業が復活し、有効求人も増え、金融緩和も続いている。但しその成果はすべて企業に溜め込まれてしまった。実際、上場企業は史上最高の利益に沸いている。そのうえ法人税減税までやろうとしている。だが企業に溜め込まれた利益が市場に還元されなければ、景気は良くならない

厚労省の毎月勤労統計調査(対象は従業員5人以上)によれば、この7月の現金給与総額は、前年比2.6%増と、1997年以来の増加だった。しかしボーナスや残業を除いた所定内給与は前年比0.7%増。消費税3%とその他の物価上昇を勘案すれば、実質賃金は大幅に減少している。

トリクルダウンと云うアメリカの学説がある。トリクルとは水の滴(しずく)。富める者が富めば、富の滴(しずく)が貧しい者をも潤すという、いかにもアメリカらしい理屈だが、富める者を企業、貧しい者を国民と解釈すれば、アベノミクスはまさにそれを実行しようとしている。だが、これだけの利益をあげながら、企業の目は海外に向いている。富める者の滴(しずく)は国内市場には落ちてこないのだ。それを変えることができるか、アベノミクスは分岐点に立っている。

一方で物価上昇は順調。円安による輸入品の値上げに、便乗値上げまで加わって(値上げに臆病だった企業が、このところ急に大胆になり、値上げを始めた)、家計を圧迫している。GDP成長率は前期比で表現されるから、次の7−9月のGDP成長率は高い数字で出てくるだろうが、消費者の実質所得低下はごまかしようがない。国内購買力が低下したままでは、いずれ景気は先折れする。

アベノミクス第三の矢は成長政策というが、最大の成長政策は企業成果の市場還元、すなわち雇用増加賃金引き上げにある。その具体策がない。

策がないわけではない。たとえば正規雇用と非正規雇用の区分廃止。国民代表としての“年金基金”をもの言う株主」にする国内販売を税制上優遇する(むかし輸出優遇税制があった)等、有効な方法はあるはずだ。私企業に対する政治の不干渉など、きれいごとを言っている場合ではない。

政府は「消費者に成果が還元されるには時間が必要」と言うが、ひたすら企業のご機嫌をとって、企業のおこぼれを期待するだけでは、円安だけが進み、輸入品の価格上昇で、市場は深刻なスタグフレーション(不景気とインフレの共存)に陥る。それも目の前に迫っている。逡巡している時間はない。

リニアの南アルプス破壊

[リニア新幹線]

 国交省リニア中央新幹線の着工を許可するという。目を開いて見てほしい。東京名古屋間、わずか40分の時間短縮のために、何がおこなわれるか?

 JR東海南アルプスの核心部、赤石山脈の山腹を貫き、総延長52キロのトンネルを掘る計画だ。トンネルを掘るなら、自然も景観も変わらないと思うかもしれないが、とんでもない。このトンネル工事により、長野県内だけでも950万立方米の掘削土が発生する。それをどうするのか、JR東海は明らかにしていない。非公式に発表したところによれば、静岡県大井川上流では、南アルプス山中、それも標高2千メートル地帯に遺棄するという。

 950万立方米とは、東北三県、岩手、宮城、福島の海岸線370キロに高さ5米、幅5米の防潮堤が築ける土量である。その半分でも山や谷に遺棄されれば、たとえコンクリートで塗り固めるにせよ、南アルプスの景観や環境は一変するだろう。

 掘削土の処理だけではない。トンネル工事で地下水の流れも変わる。生態系の分布も変わる。異常気象による出水や土砂崩れにどう対処するかという問題もある。こうした問題に対し、事前に具体的対策が示されることは、国の環境基本法が求めるところでもある。それがないまま、国交省は着工許可するつもりか? 

 国立公園・日本アルプスという国民の憩いの場が、官と企業の馴れ合いで、破壊されようとしている。
(この稿おわり)

絆(ともずな)

[社会史ノート]

8月6日、オースラリアのバースの地下鉄駅で、男性がホームと電車の隙間にに転落、足が引き出せなくなってしまった。電車は止まっているが、誰もどうしていいかわからない。折から朝のラッシュアワーで大騒ぎになった。

その時、誰かが電車の車体に手をかけ、向こうに押し始めた。それを見た周囲の客が次々とこれにならい、全員一列に並んで、車体を押した。すると、掛け声とともに、なんと、数十トンもの車体が傾き始めたではないか・・・。10分後、転落した男性は、隙間から足を引き抜き、救出された。画像はその光景を映している。

http://youtu.be/nZx4MichXXE

電車ホームからの転落といえば、おぼえておられるかたもあるだろう。この2月、東京のJR高円寺駅の上りホームから、女性が線路に転落した。停車中の下り電車に乗っていた男性がそれに気付き、とっさに電車を駆け降りて、反対側の線路に跳び降りた。

女性は気を失って、二本の線路の間に、横向きに倒れていた。折あしく上り電車がホームに入ってきた。異変に気が付いた電車のすざまじい警笛。男性は、線路と平行に、女性を仰向けにするのがやっと。そして自分はホーム下の隙間に逃げ込んだ。非常ブレーキを掛けた電車は、前から5両目まで女性の上を通過したあと、やっと止まった。奇跡的に女性は無事だった。電車と枕木の間に30センチ余の空間があったからである。

人間社会は連帯感を失っているが、それでも「人と人との繋がり」を実感できる出来事も少なくない。児童福祉施設にランドセルを贈り続ける匿名の紳士もいる。エレベータやエスカレーターがない地下鉄駅でベビーカーの運搬を手伝う青年もいる。彼らは名前を伏せている。ベビーカーヘルパーの場合は覆面である。「自分は誰か」をあきらかにしない行為が人間の繋がりを実感させてくれる。

ノーベル賞も、宇宙飛行士も、スポーツも、世の中を明るくしてくれる。だからマスメディアがニュースに飛びつくのだが、しかし、不特定人間の、自分を明らかにしない行為は、はるかに、はるかに、人間社会を温かくしてくれる

昔から”人の心を温かくする新聞”というアイデアがあった。いやなニュースの多い世相で、もっと暖かいニュースに紙面を割こうという新聞である。しかし長続きした例を見たことがない。なぜだろうか? 私の「日本のビジョン」も4年目を迎えた。せめて多くの事例を紹介していきたい。

集団安全保障の現実

[政治]

「日本も”普通の国”になったらどうか」と云われた。この場合の”普通の国”の意味が”戦力を持つ国”ということなら、もう戦力は保有している。日本が”普通の国”でない理由は、国の安全を米国に依存し、しかも米国の安全保障には直接関与していないことだ。日米安保条約は他に例を見ない片務協定なのである。

なぜこんな片務協定が成立したのか? それは、安保締結時点に、米国が朝鮮戦争を戦っており、日米が”防衛義務”と”後方支援義務”を交換したからである。いかし、冷戦の終結以来、状況が変わってしまった。

もともと、マッカーサーが「日本を東洋のスイスにする」と発言したように、日本国憲法の理念は”永久中立”にあった。だが朝鮮戦争の勃発で理念が吹っ飛んだ。ついでながら、お手本だったスイスも、今では”中立国”ではない。 NATO(北大西洋防衛機構)という集団安全保障条約に加盟し、加盟国相互に防衛義務を負っている。スエ―デンも同じ。もちろん両国とも軍備を保有し、そればかりか、世界有数の軍需輸出国でもある。

第二次世界大戦後、日本と同じ立場にあったドイツも、一時は軍備を放棄した時期があったが、今では NATO の最有力メンバーである。それでも1991年までは”専守防衛”をうたい、海外に派兵することはなかったが、2002年のアフガン戦争に際し、初めて多国籍軍の一員として、米英に次ぐ5千人の兵力をアフガニスタンに派遣し、50人余の戦死者を出している

集団安全保障では、一国の安全が危険に曝された場合、加盟国全体が相互に防衛の義務を負う。日米安保はそのような体制になっていない。安倍内閣が片務協定を変更せざるをえなくなったのは、日米安保を再出発させる必要が出てきたからである。

集団安全保障には、それぞれの国に”GIVE”と”TAKE”の立場があり、その利害をどう斟酌するか、という判断がからむ。日米安保の対象には、二つの”仮想地域”がある。ひとつは中東。そこでは米国が”TAKE”。日本が”GIVE”。日本にしてみれば、中東の紛争に「巻き込まれる」機会が増えることになる。もうひとつの”仮想地域”は日本周辺。そこでは、好むと好まざるとにかかわらず、日本が”TAKE”。米国が”GIVE”。あくまで現状で見れば、戦火に巻き込まれる頻度は中東の方が多いだろう。「それでは割が合わない」という勘定もあるかもしれない。

しかし中国は甘くない。日米が協力しているからこそ、本格的な衝突が避けられている。日本が米国の後ろ盾を失った瞬間、中国は本気で出てくる。現に米国に対し、太平洋を東西で分割しようと提案している。それが現実化しないのは、米国が日本を支えているからである。もちろん、それなりの計算が米国にあるから日本を支えているのだが、基本的に、この地域では日本が”TAKE”なのだ。それを忘れてはいけない。

いま与党内の議論は中東派兵の条件に偏っている。だが本当に議論しなければならないのは日本周辺の安全保障である。軍事や外交機密の壁があるから、自由に議論ができないかもしれないが、中東派兵はあくまでその代償の議論。それを忘れては、本来の目的を見失ってしまう。ただし、本来の目的のために支払う代償であるからこそ、国会で十分議論してほしいし、また法律的な縛りも必要だ。

日本と米国の協力が深まるほど、極東有事の抑止力は高まる。協力が東南アジア全体の集団安全保障に発展すれば、さらに望ましい。言うまでもないことだが武力で解決しようというのではない。力による脅迫に対しては、当然のことながら、その対策を講ずるということだ。
(この項おわり)